カメラがネガだったころ
最近は、カメラで撮った写真を現像するということも少なくなった。
時たま薬局なんかで見かける、L版プリント○円なんていう看板を見るたびはっとする。
そういえば、私はネガ世代の人間だった。
一生懸命とった写真だったのに、まだ何枚か残っているのに途中でカメラの蓋を開けてしまって、苦心の写真が元も子もなくなったという経験もある。
写真屋さんからもらってきた現像上がりの写真が、逆光になってうまく映っていなくって、「これは逆光です」とか「レンズのところに指がかかっています」とかのメモつきになっていたりした。
そして、フィルムの入っていたプラスチックの容器に、500円貯金をしたりした。
そんな時代を経てきたのに、ついうっかり写真をデータで残す習慣に慣れてしまった自分に気づく。
あの頃の、イチかバチかの賭けに出る感じをすっかり忘れていたのだ。
そう言えば今は、欲しい写真だけを選んで、インターネットで現像を頼むこともできるし、ちょっとしたアルバムも作ってもらえる。
自分の技量がたりなくて、それでもどうしてもその被写体をうつしたくって仕方がなかった、実力伴わない単なる熱意は、それこそ無用のものとなった。
だって今はその場で確認できるのだ。
いいものだけ選んでのこすという取捨選択ができるのだ。
何となく、自分に対しても常にいろいろ取り繕っているのでないか、そんな気がする。
映りのいい写真だけを残して、いったい誰に見えをはっているのだろうか。
自分に?
それとも、それを後世になって見た誰かに?
たまには、24枚撮りのフィルムの中で、いいのが一枚か二枚そこらしかない、そんな苦い思いを改めてしてみるのもいいのかもしれない。