真夜中の電話を受けた日々と現在
愛しい人からの電話であれば、たとえそれが深夜であっても嬉しく感じるものでした。
こちらが朝5時起きの暮らしをしていても、深夜2時3時の電話さえも凄く幸せに思っていたのです。
四六時中、いつも私の事を考えてくれているのだと、私は本気でそう思い込んでいました。
しかし、それは私の甘くてばかばかしい勘違い。
本当に私を大切に思っているのなら、そんな遅くに電話をかけて起こすようなことはしないでしょう。
もし、本当に声が聞きたいと思ったとしても恐らく我慢するのが本当の優しさのような気がするのです。
彼からの深夜の電話は、いつも外からでした。
電話の向こうの音や気配から、通りを歩いているのが想像できました。
今思えば、一人で歩く帰り道の寂しさを紛らわせたかったのでしょう。
彼的に言えば、時間の有効使用方法でしょうか。
会社が終わったであろう時間に、こちらから電話をしてもいつも切られてばかり。
しかも、東京の細かい地名にあるお店の名前を上げられても、それがどこなのか500キロも離れているところに住んでいる私には、全然見当もつきませんでした。
ただお酒飲んでいるだけで良いのに、いつも訳の分からない地名を言うのです。
その理由も、年齢を重ねた今なら分かります。
ぱっとしない田舎娘からかかってくる電話を、周りの人に知られたくなかったのでしょう。
そこに愛は、1ミリもなかったのだと思います。
分かれば分かるほど、気が付けば気が付くほど、自分の愚かさと彼に悲しくなってくるのです。
夜はゆっくり眠らせてあげたい。
夫は、そんな優しさを持つ人です。
私たちは東京から離れた場所で、温かい優しい家庭を作っています。